激動の世界情勢の中で、生き抜くとは「変化する事」。19世紀の半ばに起きた明治維新とは何だったのか。
【本文抜粋】
この変革が、国際環境の激変により始まったことはよく知られている。…そのままでは環境の激変に耐えられなかった。19世紀半ばの日本人はそれを自覚し、西洋諸国がふたたび加速を始めたグローバル化を意識しつつ、自国を維持するために体制の改革に取りかかった。
このうような始まりの物語を否定する人はいないだろう。しかし、その後に何が起こるか、当時、予想できた人はいなかった。近世国家、さらに身分制度を解体すべしと正面から主張した人もいなかった。何か不具合が生じたとき、人間はつねに、問題が何かを発見し、対策を考え、それを実行して解決を図る。しかし、この変革では、最終的な目標を考え、その必要と正当性を訴えた人は皆無だった。
「青写真のない革命」だった。
【ポイント(本文抜粋)】
明治維新は、広く見れば、1853年のペリー来航から1890年の国会開設まで、約37年間に起きた革命、政治体制と社会的権利の大規模な再編成であった。政治動乱の期間のみを見ると、1858年の政変から1877年の西南内乱までのあしかけ約20年。
・政体に関しては、まず「双頭・連邦」の国家が、「単頭・集権」の国家に変わった。
・社会構造も大きく変わった。世襲身分制度の解体、社会における責任主体は共同体から個々の家、さらに個人に移った。
・文化も大きく変革した。日本は古来、文明の骨格を中国に仰いできた。…しかし、明治日本は貪欲に同時代西洋の文明を吸収・咀嚼し、国家・経済・思想の根幹に据えた。
なぜ、「青写真の無い革命」があしかけ約20年で出来たのか、「失われた30年」を過ごした我々は、学ぶ必要があるのではないか。
以上です。
