【コラム】 「実物経済」と「金融経済」における「資本」の見方

テクノロジストの目的は、以前に記載したようにカール・ポラニー氏の指摘する

〇「近代の経済学は、擬制商品(労働、土地(自然環境)、貨幣)が本来商品と全く同じように機能すると言う間違った前提に立っているとしている。」の「間違った前提」を正す経済学の理解です。
 一番の難問が「貨幣」です。今回は、貨幣(お金)を、「資本」としてお話しします。(※13世紀に「利子がつくおカネを資本と認識」し産声を上げた資本主義です。)

現在の「資本」の姿を「シンボルエコノミー 日本経済を侵食する幻想」(水野 和夫著)から整理すると下記の内容になります。※内容はだいぶ加工してあります。

⇒注)水野氏は上記の著作の中でリアルエコノミーとシンボルエコノミーという言葉を使っていますが、私のブログの中では、「実物経済」と「金融経済」と書き換えています。

 資本の定義は数多くありますが、大まかに言えば利息(利潤)を生むおカネが回転したものであるという点で、意見の一致が見られるようです。資本の見方は二つに大別できます。
 第1の見方は、財・サービスの生産力(GDP)を高めるのが資本の機能であって、工場・店舗・オフィスビルなどが実物経済の資本ということになります。生産されたもの(GDP)は必ず支出額(GDE)と等しく、人々の財・サービスに対する需要は上限があるわけですから、人々の財・サービスに対する満足度が飽和すれば、経済は「定常状態(成長を前提としない状態)」に行き着くことになります。

 第2の見方は、「金融経済」と親和性があります。いつでも換金できるものとすると、株式が資本となります。たとえば、工場・店舗・オフィスビルは即座に換金できませんが、上場株式はいつでも換金可能だからです。株式市場には無限の欲望を持った資本家が参加しており、キャピタルゲインが最も重要だというこくになります。

 第1と第2を包括した資本の理論は、マルクスのG-WーG’-W’-G”…(G=貨幣、W=商品)。そして、資本主義経済の永続性を保証する条件がG<G’とW<W’です。
 実物経済の資本はWーW’を繰り返しながら、ΔW(=W’-W)である実質GDPの成長率を高めていくます。Wは前払い賃金・工場・店舗・オフィスビルを表しますから、おおむね実質GDPと等しくなります。前払い賃金が消費支出となり、工場などが投資となるからです。一方、「金融経済」の資本がGーG’を繰り返して、Gの極大化、すなわち利潤の最大化を目指すのは21世紀になってΔWがほぼゼロ成長となってきたからです。つまり、G-WーG’-W’…のプロセスにおいてWを捨象しようとしているのです。

ドラッカーも「資本移動、為替ルート、金融という金融経済が、財とサービスの流れという実物経済に代わって、しかもこの実物経済からほとんど独立して、世界経済のペースメーカーとなった」(1986))と指摘しています。

 資本の自由化はバブル生成と崩壊をもたらし、バブル崩壊後、企業はリストラができるよう「労働の規制緩和」を政府に要求しました。そして非正規化された労働者は、「ショック・ドクトリン」のもとでいつでも解雇できるモノとなってしまったのです。

 「資本の帝国」が、市場(株式市場・労働市場等)を「暴力装置」に変えてしまったのです。現実には、金融経済は、国民国家の主役である雇用者の実質賃金が趨勢的に下落させます。

 上記の内容が、私が理解している「間違った「貨幣」の前提」が辿り着いた事態です。これをどの様に正して「ドット型国家の経済システム」を構築していくかが今後の展開となります。

以上です。