備忘録的につぶやきます。(※本日はよくつぶやいてますが)
「人新世の「資本論」」の「第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う」
「脱成長コミュニズムの柱②-労働時間の短縮 労働時間を短縮して、生活の質を向上させる」の節に次ようのな記載があります。
化石燃料の「エネルギー収支比」(EROEI)の高さである。エネルギー投資効率とも呼ばれるエネルギー収支は、一単位のエネルギーを使って何単位のエネルギーが得れれるかという指標である。
原油のエネルギー収支比は、再生可能エネルギーと比較すれば各段に高い。太陽光は、一単位の投資で2.5~4.3単位ほどしか得られない。トウモロコシのエタノールはなんと1対1に近いという。一単位のエネルギーを使って、一単位のエネルギーしか得られないなら、まったく意味がない。こいしたエネルギーは、いわば濃度が非常に「薄い」ため、より多くの資本や労働を投資しなくてはいけなくなる。
脱炭素社会に移行していく場合、エネルギー収支の高い化石燃料は手放し、再生可能エネルギーに切り替えていくしかない。そうなれば、エネルギー収支比の低下によって、経済成長は困難になる。二酸化炭素排出量削減によって起こる生産力の低下は「排出の罠」と呼ばれる。そして、エネルギーという「奴隷」が減少すれば、今度は代わりに、人間が長時間働く必要性が出てくる。当然、労働時間の短縮にもブレーキがかかり、生産の減速にもつながる。
また、書籍:「エネルギーをめぐる旅」の第2部 知を追求する旅 科学が解き明かしたエネルギーの姿の「第3章 エネルギーの流れが創り出すもの」の《散逸構造の不思議》節では、「散逸構造」について次のような記載があります。
地球のように継続的に外部からエネルギーを受け入れ、それを最後には放出する系のことを開放系ないしは非平衡系と言います。このようなエネルギーの流れを持つ世界では、秩序から無秩序へと向かう一方通行の過程の中で、特定の秩序を待った構造が局所的に立ち現れることがあります。これを「散逸構造」と言います。
※熱帯地方の熱を取り込んで自然に発生し、成長していく台風がいい例です。台風は、熱帯地方の暖かい海水からエネルギーの供給を受けることで、渦を巻く構造を作り出します。やがて陸地に上陸したり、緯度が高く海水温が低い地域へと移動していくことで海水からのエネルギー供給が細るようになり、構造の維持が不可能になったところで自然に消滅します。こうした秩序の究極の事例。それが、私たち生物だったのです。
さらに《文明とは散逸構造そのもの》の節では、下記「散逸構造の維持について」次の記載があります。
熱力学の第二法則が支配するこの世の中で、一定の秩序を維持する為には、常に外部からエネルギーの供給を続ける必要があります。これが散逸構造が導き出すひとつの結論です。人類は文明が発祥した古代の世界から現在に至るまで、連綿と知識の蓄積を続けています。蓄積された知識を「構造」として維持、発展させていくためには、より多くのエネルギーの投入を必要とします。これが、過去から現在に至るまで、人類によるエネルギーの消費量が一貫して右肩上がりで伸び続けてきた理由です。より複雑で多様な「構造」を維持するためには、より多くのエネルギーの投入が必要となるのです。
仮に人類がエネルギーの消費を絞らざる得なくなると、台風が徐々に勢力を弱めていくように、こうした構造は維持が難しくなっていきます。
現代社会における人類の繁栄は、ひとえにエネルギーの大量消費によって辛うじて支えられているに過ぎない、ある意味非常に脆弱な存在なのです。
つまり、意識的にエネルギーの供給量を絞る場合は、その絞り具合によっては、「排出の罠」による「生産の減速」に留まらず、「散逸構造」の維持を難しくする可能性が有ります。
これが「ドット型国家」の構築において私が、「エネルギー」を根本に置く理由です。
以上 備忘録です。