ひとり言の続編です。
二番目に:
今度は、ドーナツ経済で話題にした主流派の経済学から見た視点の見直しです。
つまり主流派の経済学のきわめて限定的な図であるフロー循環図のみで、経済の全体を説明する事によって定義された「用語」の再定義です。
具体的には、
第1章 創造的定常経済システムの構想―資本主義・社会主義・エコロジーの交差の「「創造性」の再定義―定常型社会と創造性」の節で記載されている「創造性」という言葉です。
「創造性」というと経済競争や技術革新といったことと連動して考えられることが多いが、発想を根本から変えてみると、これまでのような「成長・拡大」の時代とは、実は市場化・産業化(工業化)・金融化といった「一つの大きなベクトル」に人々が拘束・支配され、その枠組みの中で物を考え行動することを余儀なくされていた時代と言えるのではないだろうか。
私たちがこれから迎えつつある市場経済の定常化の時代とは、そうした「一つの大きなベクトル」や”義務としての経済成長”から人々が解放され、真の意味での各人の「創造性」が発揮され開花していく社会としてとらられるのではないだろうか
また、やはり第1章の「「生産性」の再定義―環境・福祉・経済の相乗効果」の節に記載されている「生産性(ないしは効率性)」という言葉です。
「生産性(ないし効率性)」という概念の根本的な見直しである。思えばこれまで生産性とは「労働生産性」、つまり”少ない労働力で多くの生産を上げる”ことと考えられてきた。しかし現在の先進諸国では、本章で論じてきたように構造的な生産過剰と慢性的なヒト余り(=失業)が生じている。こうした時代には、むしろ「人」を多く活用し、逆に自然資源を節約することが重要となり、したがって生産性の概念を「労働生産性」から「環境効率性(ないし資源生産性)」(=人はむしろ積極的に活用しつつ、できる限り少ない自然資源や県境負荷で生産を行うこと)へ転換することが本質的な課題となる。
これまで”生産性が低い”典型とされてきた介護や福祉、教育などの分野(=「ケア」関連分野)に全く新しい意義が生まれることになる。ケアという「労働集約的」な分野に資源配分をしていくことこそが、(以上のように新たな生産性の概念あるいは失業率の低下といった意味で)「経済」にとってもプラスになるのである。これは、環境効率性ないし資源生産性というものをさらに超えて、いわば「ケア充足性」と呼ぶべき新たな概念を要請するものと言えるかもしれない。
※よくニュースで”日本のサービス産業の生産性が低い”と言う事を聞くが、「おもてなし」の心に代表される”日本のサービス文化”をどう評価するかの論点だとテクノロジストは思うのである。昨今「インバンド需要」が旺盛だが、外国人が目の色を変えて求めるのは、この「おもてなし文化」ではないか。(勿論「円安」による割安感も大きいが…)
いずれにせよ「思想(考え方・ものの見方)」の恐ろしさです。中野 剛志氏が以前「主流派経済学」が「宗教化」(※信じる者は救われる)していると何処かで記載していましたが、ここまで来ると「阿片」(※幻覚の中で身を滅ぼす)の様な中毒性を感じますね。勿論冗談ですが…
以上 備忘録です。